DVについて

前回から長らくブログを放置プレイしてしまいました。

 

修士論文の執筆に追われておりまして、ようやく少し落ち着いたので数世紀ぶりにブログを書こうと思います。

題名にある通り、私の修士論文のテーマでもあるDVについて今日は私の理解を書いていきたいと思います。

 

DVというのは、狭義では家庭内の配偶者間(妻と夫)の間で行われる身体的・精神的・性的な暴力のことを指します。現在は、結婚をしていない学生同士のカップルといった親密な関係にある男女間で行われる暴力をデートDVと称して用いられることもあります。

 

身体的な暴力はもちろん殴る蹴るなど、精神的な暴力は暴言や経済的な支配を加えること、知人との連絡を制限する(他の男・女とラインするな!とか)といった行動に制限を加えることなど、性的な暴力は性的な行為を強要する、避妊に協力しないことなどが挙げられます。

DVはほとんどの場合が男性が加害者で、女性が被害者になる構造が多いですが、近年は男性が被害者であるケースが増えてきている(被害として注目されるようになってきている)傾向があるようです。

私はDV被害者支援を、男性という立場でできることがないかということを研究していました(ほとんどの場合が男性が加害者のため、男性がDV被害者に関わることは困難とされ、丁寧な検討がなされずタブー視されてきていたので。)。詳細についてはまた今度の機会に。

 

さて、今日はDVについて、なぜ被害者はDVをする男・女から逃げないのかということについて1つ説明したいと思います。一般的な人からすると、「なんでそんな酷い男・女から逃げないの?」と疑問を持つことがあるかもしれませんが、そこには数多くの理由があります。今回はそのうちの1つである心理的側面の理由を紹介します。

 

一般的にはDVサイクルという形で説明されることがあるかもしれませんが、この理由はDVに限らない人間の基本的な特性によるもので他にも当てはまりうると私としては考えています。

 

人間には基本的に、「濃厚な」情緒的接触・交流を求めるという傾向があります。わかりやすく言うと、嬉しさ、悲しさ、愛しさや憎しみといった様々に心動かされるような対象・出来事を求めるということです。

 

ある有名な事件があります。(名前は忘れちゃった)銀行強盗があり、人質が複数人取られました。しかし、犯人はその人質に対して丁重に対応を行ったとのこと。その犯人が捕まり裁判になった際に、なんとその人質たちは犯人たちの減刑を訴えたということがあります。

客観的に見れば人質に取られるという状況でなぜ犯人側に気持ちが動くのかという疑問があります。しかし、人質からすると、強盗で人質に取られるという圧倒的な恐怖体験を強いられた一方で、丁寧に対応し安心感を与えて恐怖から救い出してくれたのも同じ強盗なのです。この圧倒的な恐怖から安心感を与えてくれるという心の動かされる振れ幅が「濃厚な」に当たる部分です。地獄に突き落とすのとそこから天国に救ってくれるのが同じ人物であるのがポイントで、DVについても同様なことがあります。

 

DV加害者が暴力を振るったのちに、被害者に泣きながら謝って「お前が好きだから」といった甘い言葉を話すことはよくあります。これも被害者からすると、DVを振るうのもそこから救ってくれるのも加害者なのです。その時の被害者の心の動かれ方がいかに激しいものかは想像に難くありません。

 

もっとわかりやすく俗っぽくいうなれば「ギャップ」というのも近いかもしれません。普段厳しいことばかり言う上司が時折優しい言葉をかけてくれるとギョギョッと心乱されてしまうことなどありますか?「ギャップ」と言うのは文字通り、心の動かされる幅が大きい時に感じるのではないでしょうか。優しそうな人が優しい行動をするのと、え、生まれて3日目ですかみたいな人間性しか持ち合わせていないように見える私が優しくするのとでは、受ける印象も違うでしょう。ツンデレもそうかな。

 

もちろん「ギャップ」と言うのを特に感じない、あるいは安定的な人の方が安心するという人もいるので、全ての人に当てはまるとは言いませんが、一定数はいるのではないでしょうか。このような二面性と言っても過言ではないような側面に、人間は心を動かされ、そのような濃厚な情緒的接触・交流に囚われてしまうと、そこから抜け出すのは容易ではありません。DVから抜け出せない理由の1つとしてこのような心理的背景があると私は理解しています。

 

長く書いてしまいましたが、少しでもみなさんの教養の足しにしていただければ幸いです。まず僕は自分の言ってる事とやってることのギャップを埋めなければ。

ではまた。